幸福論~鈴木大拙氏と三浦綾子さん(月刊致知より) – プラズマサロン ひだまり庵

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幸福論~鈴木大拙氏と三浦綾子さん(月刊致知より)

禅の研究と著述に九十六年の生涯を傾注された鈴木大拙博士が、こういう言葉を残されている。
「人間は偉くならなくとも一個の正直な人間となって信用できるものになれば、それでけっこうだ。真っ黒になって黙々として一日働き、時期が来れば、“さよなら”で消えていく。このような人を偉い人と自分はいいたい。」
平明、しかし深遠な一つの幸福論である。

幸福論の言葉で真っ先に思い出す人に、作家の故三浦綾子さん(旭川生まれ1922~1999)がいる。
三浦さんの人生は難病の連続だった。二十四歳で突然高熱に倒れたのが発端である。それがその後、十三年及ぶ肺結核との闘病の始まりだった。当時、肺結核は死に至る病だった。入退院の繰り返しの中で、三浦さんは自殺未遂も起こしている。
さらに悲惨が重なる。脊椎カリエスを併発。ギブスベッドに固定され、動かせるのは首だけで寝返りもできず、来る日も来る日も天井を目にするのみ。排泄も一人ではできず、すべての世話はお母さんがした。そんな生活が四年も続いたとは想像を超える。
そこに一人の男性が現れて結婚を申し込む。光世さんである。その日から薄皮を剥ぐように快方に向かい、二人は結婚する。綾子さん三十七歳、光世さん三十五歳だった。そして綾子さんの書いた小説『氷点』が新聞社の懸賞小説に当選、作家への道が開ける。
しかし、その後も病魔はこの二人を襲い続けた。紫斑病喉頭がん。三大痛い病といわれる帯状疱疹が顔に斜めに発症、鼻がつぶれる。それが治ったと思ったら大腸がん。そしてパーキンソン病。この二つを併発している時に、本誌(月刊致知)は初めてお会いしたのだった。
次々と襲いかかる難病。それだけで絶望し、人生を呪っても不思議はない。だが三浦さんは常に明るく、ユーモアに溢れていた。「これだけ難病に押しかけられたら、普通の人なら精神的に参ってしまいますね」という本誌の質問に三浦さんは笑顔で答えた。
「神様が何か思し召しがあって私を病気にしたんだと思っています。神様にひいきにされていると思うこともあります。特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと・・・。いい気なもんですねえ(笑)」

誰の人生にも絶望的な状況はある。だが、心が受け入れない限り、絶望はない。同様に、誰の人生にも不幸な状況はある。しかし、心が受け入れない限り、不幸はない。三浦さんの生き方はそのことを教えてくれているように思う。

その三浦さんがこんな言葉を残している。
「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句をいいつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう」

2019.11.03[ こころと魂を養うお話し ]

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